2011年01月29日

人生50年!我が人生は○○年・・・?

信長が本能寺での最後に
人間五十年、下天のうちをくらぶれば、
夢幻の如く なり。
一度生を享け滅せぬもののあるべきか
と特に好んで演じたと伝えられている。

「人間(じんかん)五十年」は、人の世の意。下天」は、六欲天の最下位の世で、
一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。
信長は16世紀の人物なので、「人間」を「人の世」の意味で使っていた。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」の正しい意味は、
「人の世の50年の歳月は、下天の一日にしかあたらない」である。
とすると、下天に居たとなると、私は、1日と4.8時間しか存在していないことになる。
生まれるものは必ず滅する。滅してどこへ行くのかがわからない。
どこから来てどこへ行くのか・・?死んだら終わり?本当かな?
人が死んだとき、大往生やったなと言うが。
往生とは、往って生まれる事であるが、又、どこかに生まれるのかな?
阿弥陀経には西方極楽浄土を説いているが。(極楽・・極めて楽しい)
極楽に生まれるのかな、易々と極楽に生まれることが出来る?
そんなに簡単に生まれることが出来るなら、大僧正たちは、過酷な修行など不要ではないか。
三途の川を渡り、49日に、閻魔様の前に出て、罪状を告げられ、
生前の罪業に見合った世界に、振り込まれるらしいが、又、6つの門が目の前に有り、
自分が好きな門に入って良いらしいが、選んだ門は、
前世に自分がしてきた行いにふさわしところを選択するらしい。
殺生したものが選んで門に入るとそこは統括地獄に通じる門らしい。大変だ!。
虫一匹殺しても殺生だと仏教では言う。何匹殺したことか。大変だぁーーー。
懺悔をいっぱいしなければ・・・。

懺悔文

我昔所造諸悪業 がしゃくしょぞうしょあくごう

皆由無始貪瞋癡 かいゆうむしとんじんち

従身口意之所生 じゅうしんくいししょうしょ

一切我今皆懺悔 いっさいがこんかいさんげ 

    【懺悔文は華厳経(大方広仏華厳経)四十巻本の普賢行願品による】 
《直訳》
我れ昔より造るところの諸の悪業は
皆な無始の貪・瞋・癡に由る。
身・口・意従り生ずる所なり、
一切、我れ今皆な懺悔したてまつる。

【現代語意訳】
私が、過去に行ったあらゆる汚れた行いは、
すべて、はじめもわからない深い貪欲、怒り、愚かさ[の三毒]によります。
それは、体の行い、口の行い、心の行い[の三業]から生起したものです。
すべてを、私は、いま仏に照らされて悔い改めます。
49日
posted by 野球じーじぃ at 15:23| Comment(0) | 人生観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月27日

続・親鸞なう!「死んだらどうなる?」

福井新聞連載の「親鸞なう」に死んだらどうなるのか?というタイトルで県民意識調査が提載されていた。
「人はなくなった後どうなると思いますか」という調査の結果が出ていました。
浄土や天国などに別世界に行く・・・38.8%
消滅する・・・・・・・・・・・・・24.0%
生まれ変わる・・・・・・・・・・・21.8%
その他・・・・・・・・・・・・・・10.5%
無回答・・・・・・・・・・・・・・ 5.0%
「浄土など別世界のリアリティがだんだんと無くなってきているということだろう」と解説していた。
死後の世界を信じていないといっても良いのでは。
浄土より今を幸せに生きていければ良しとする人が多い。
果たして死後の世界は本当に無いのだろうか?。
親鸞は何を説いたか。
親鸞からさかのぼること仏教の祖、釈迦はどう説いたのだろうか?
釈迦以前のインドの思想にこのような事が記されていた。
人が死後に赴く道として、「神の道」と「祖霊の道」が挙げられ、
前者を歩むものは、「永遠の絶対者(ブラフマン)と合致できるが、降雨者の道を歩むものは、輪廻によって再び地上に生まれ出ると説かれている。
すなわち、彼らは死後、まず煙に乗って夜に赴き、それから月の欠ける半月、太陽が南向する半年を得て祖霊の世界に至る。次に祖霊の世界から虚空、虚空から月に入り、一定の果報期間を月で過ごした後、「来たときと同じ道」をたどって虚空に戻り、そこから風になり、煙になったり、霧になり、雲になり、最後に雨となって地上に降り注ぐ。
「彼らは米、麦、草、木、ごま、豆としてこの世に生まれる。
ここからは、誠に脱却するのが難しい。
なぜならば、だれかが食物(として彼ら)を食べ、精子を射出するときに、それ(精子)となることがようやくにしてあるからである。
こうして人は母体内に転生する。が、この転生は偶然に行われるのではない。
「この世においてその素行の好ましい人々は、好ましい母胎に、すなわち、バラモンの母胎か、王族の母胎か、庶民の母胎に入ると期待される。
しかし、この世においてのその素行の汚らわしい人々は、汚らわしい母胎に、すなわち、犬の母胎か、豚の母胎か、賤民の母胎はいるとよそくされるのであると・・・・・。
この思想がさらに発展して「アートマン」と結びついたとき、今日的な意味での輪廻と業の思想が完成したらしい。【アートマン・・人間の肉体を動かしている中核ー霊魂とみなしている】

仏教では、過去、現在、未来(来世)は一貫していると説いている。アートマンが過去、現世、来世、姿を替えて輪廻転生している。
私はどこへ転生するのであろうか? href="http://hatanaoki.up.seesaa.net/image/DSC_0001.jpg" target="_blank">DSC_0001.jpgDSC_0002.jpg
posted by 野球じーじぃ at 16:59| Comment(0) | 信仰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする