2012年06月15日

在家無知の身

一帖目第一二通
 そもそも、年来超勝寺の門徒において、
仏法の次第もつてのほか相違せり。
そのいはれは、まづ座衆とてこれあり。
いかにもその座上にあがりて、
さかづきなんどまでもひとよりさきに飲み、
座中のひとにもまたそのほかたれたれにも、
いみじくおもはれんずるが、
まことに仏法の肝要たるやうに心中にこころえおきたり。
これさらに往生極楽のためにあらず。ただ世間の名聞に似たり。
しかるに当流において毎月の会合の由来はなにの用ぞなれば、
在家無智の身をもつて、いたづらに暮しいたづらに明かして、
一期はむなしく過ぎて、つひに三途に沈まん身が、
一月に一度なりとも、せめて念仏修行の人数ばかり道場に集まりて、
わが信心は、ひとの信心は、
いかがあるらんといふ信心沙汰をすべき用の会合なるを、
ちかごろはその信心といふことはかつて是非の沙汰におよばざるあひだ、
言語道断あさましき次第なり。
所詮自今以後はかたく会合の座中において信心の沙汰をすべきものなり。
これ真実の往生極楽をとぐべきいはれなるがゆゑなり。
     あなかしこ、あなかしこ。
  [文明五年九月下旬]
1-12.jpg

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昔の人も、現代人も同じか。
人より良く思われたい、見られたい。
信心を得ても、あまり変わらない事を嘆いている。
あぁーーなんたることかと・・・。
もっと、お互いの信心を確認し合えと!
そのための集まりだぞと・・・。
うーーむ!
地位、名誉、財産、権力を得ようと
人生の目標に掲げ頑張る・・・・。
死ぬときは生まれた時と同様、丸裸だぞ。
無一随者。
持っていくのは、生きてるときの善業、悪業のみ!
その結果で、未来が決まる!
己の未来は、佛のみぞ知る。
南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ 合掌
posted by 野球じーじぃ at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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