2012年05月28日

まず当流の安心・・・。

一帖目三通
 まづ当流の安心のおもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、
また妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。
ただあきなひをもし、奉公をもせよ、猟・すなどりをもせよ、
かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬるわれらごときのいたづらものを、
たすけんと誓ひまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、
一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、
たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、
かならず如来の御たすけにあづかるものなり。
このうへには、なにとこころえて念仏申すべきぞなれば、
往生はいまの信力によりて御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、
わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念仏申すべきなり。
これを当流の安心決定したる信心の行者とは申すべきなり。
あなかしこ、あなかしこ。
  [文明三年十二月十八日]

*諸悪莫作(しょあくまくさ )・・・諸々の悪を作す莫れ
 衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) ・・・ もろもろの善を行い
 自浄其意(じじょうごい)・・・自らの心をきよくせよ
 是諸仏教(ぜしょぶっきょう)・・・是れ諸仏の教えなり
  日々の暮らしにおいてどれだけの悪事を行っているか?
 どれだけの良い事をしているだろうか?
 ふと考えてみると、悪い事はけっこうしているが、
 良い事は、あまりしていないのに気がつく。反省!
 十悪のしたいほうだいである。
 こんな下賎な自分でも救ってくれるというのが、
 弥陀如来の本願だという。
 その前に、自分の姿を一度、深くかんがえなければ・・。
 来世があると思い、来世の自分を考えると、
 また同じ事を繰り返すのか?
 地獄、餓鬼、畜生、修羅の世界にて
 また生きるのか。
 今、六道を離れて安心の世界に身を置くか。
 己の心の中にあるという。
  なむあみだぶつ なむあみだぶつ
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2012年05月25日

出家発心

一帖目二通
 当流、親鸞聖人の一義は、あながちに出家発心のかたちを本とせず、
捨家棄欲のすがたを標せず、ただ一念帰命の他力の信心を決定せしむるときは、
さらに男女老少をえらばざるものなり。
さればこの信をえたる位を、『経』には「即得往生住不退転」と説き、
『釈』には「一念発起入正定之聚」ともいへり。
これすなはち不来迎の談、平生業成の義なり。 
『和讃』にいはく、
「弥陀の報土をねがふひと 外儀のすがたはことなりと 
本願名号信受して 寤寐にわするることなかれ」といへり。
「外儀のすがた」といふは、在家・出家、男子・女人をえらばざるこころなり。
つぎに「本願名号信受して寤寐にわするることなかれ」といふは、
かたちはいかやうなりといふとも、
また罪は十悪・五逆、謗法・闡提の輩なれども、回心懺悔して、
ふかく、かかるあさましき機をすくひまします弥陀如来の本願なりと信知して、
ふたごころなく如来をたのむこころの、
ねてもさめても憶念の心つねにしてわすれざるを、
本願たのむ決定心をえたる信心の行人とはいふなり。
さてこのうへには、たとひ行住坐臥に称名すとも、
弥陀如来の御恩を報じまうす念仏なりとおもふべきなり。
これを真実信心をえたる決定往生の行者とは申すなり。
あなかしこ、あなかしこ。
あつき日にながるるあせはなみだかな かきおくふでのあとぞをかしき
  [文明三年七月十八日]

*一念帰命の他力の信心を決定すると得られる位は
        ↓
『経』には「即得往生住不退転
『釈』には「一念発起入正定之聚
これすなはち不来迎の談、平生業成の義なり。
この3項目の意味は次の4通目に、詳しく答えている。
いずれにしても、往生するためには、
ここにでてくる「一念帰命の他力の信心を決定」「本願名号信受」
することが前提である。
決定をけつじょうと読む。
どのように決定をするのかは、
これも後の御文章にかかれているが、果たして文章から
理解できるかどうか?
今の現代人の無宗教の感覚、宗教に対するとらえ方では・・・。
いつの時代からか、宗教の本質がゆがめられているのが現状かな。
当時の蓮如上人も嘆いておられる。
     なむあみだぶつ なむあみだぶつ・・・・・・。

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2012年05月24日

或人いはく・・・・

一帖目一通
或人いはく、当流のこころは、門徒をばかならずわが弟子とこころえおくべく候ふやらん、
如来・聖人(親鸞)の御弟子と申すべく候ふやらん、その分別を存知せず候ふ。
また在々所々に小門徒をもちて候ふをも、
このあひだは手次の坊主にはあひかくしおき候ふやうに心中をもちて候ふ。
これもしかるべくもなきよし、人の申され候ふあひだ、おなじくこれも不審千万に候ふ。
御ねんごろに承りたく候ふ。
 答へていはく、この不審もつとも肝要とこそ存じ候へ。
かたのごとく耳にとどめおき候ふ分、申しのぶべし。きこしめされ候へ。
 故聖人の仰せには、「親鸞は弟子一人ももたず」とこそ仰せられ候ひつれ。
「そのゆゑは、如来の教法を十方衆生に説ききかしむるときは、
ただ如来の御代官を申しつるばかりなり。
さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如来の教法をわれも信じ、
ひとにもをしへきかしむるばかりなり。
そのほかは、なにををしへて弟子といはんぞ」と仰せられつるなり。
さればとも同行なるべきものなり。
これによりて、聖人は「御同朋・御同行」とこそ、かしづきて仰せられけり。
さればちかごろは大坊主分の人も、われは一流の安心の次第をもしらず、
たまたま弟子のなかに信心の沙汰する在所へゆきて聴聞し候ふ人をば、
ことのほか切諫をくはへ候ひて、あるいはなかをたがひなんどせられ候ふあひだ、
坊主もしかしかと信心の一理をも聴聞せず、
また弟子をばかやうにあひささへ候ふあひだ、
われも信心決定せず、弟子も信心決定せずして、
一生はむなしくすぎゆくやうに候ふこと、
まことに自損損他のとが、のがれがたく候ふ。
あさまし、あさまし。
 古歌にいはく、
うれしさをむかしはそでにつつみけり こよひは身にもあまりぬるかな
「うれしさをむかしはそでにつつむ」といへるこころは、
むかしは雑行・正行の分別もなく、念仏だにも申せば、往生するとばかりおもひつるこころなり。
「こよひは身にもあまる」といへるは、
正雑の分別をききわけ、一向一心になりて、
信心決定のうへに仏恩報尽のために念仏申すこころは、
おほきに各別なり。かるがゆゑに身のおきどころもなく、
をどりあがるほどにおもふあひだ、
よろこびは身にもうれしさがあまりぬるといへるこころなり。
    あなかしこ、あなかしこ。
  [文明三年七月十五日]

*「さればちかごろは大坊主分の人も、われは一流の安心の次第をもしらず」とは?
今の坊主はどうなんだろう?一流の安心をしらないとある。
信心決定してない。
念仏あげただけでは往生できないとある。
答えは我が心の内にある。あはは

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2012年05月23日

39回×365日×10年=14250回

14250回、これは朝夕のお勤めで、10年間、「南無阿弥陀佛」と、
称えた回数である。
気がつけば、もう10年と1カ月になる。
最初のころのお勤めは、経本を読むのに苦労していたのを
覚えている。その頃は朝のお勤めは40分は、ゆうにかかっていた。
佛花の水替えから始まり、仏さまのお水とお佛飯をそえて、
燈明と線香をたき、
香偈から始まり三寶禮、四奉請、懺悔偈、開経偈
四誓偈、身心観文、阿弥陀経へ、そして各聖人方の経文を
10章あげて、四弘誓願まで。
その間に称える、「南無阿弥陀佛」が25回。
いつの頃からか覚えていないが、経本を見ることなくあげさしていただいている。
それでも朝のお勤めは20分はかかる。
夕方のお勤めは、以前は阿弥陀経から送佛偈までお勤めしていたが、
今では送佛偈だけで勘弁してもらっている。
それでも夕方のお勤めの時でも、称える、「南無阿弥陀佛」が14回。
朝夕で最低、39回称えている勘定である。
外泊しない限りは、ほぼ毎日あげている。
今では、あげないと、1日が始まらない。
毎日の日課となってしまっている。
明日から再度、、「南無阿弥陀佛」の謂れを勉強するために
蓮如上人のご文章を、写経ならぬPC打ちでもしていこうかなどと
罰あたりの事を考えている。
 なむあみだぶつ なむあみだぶつ
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2012年05月09日

初節句と米寿祝い

連休に全員揃ったのを機に、孫の英祐の初節句と、
じいさんの88の米寿のお祝いを我が家でする。
8の数字の末広がりの意味にあやかって、
皆が幸せになりますようにと楽しいひとときを過ごさせてもらった。
孫二人からのお祝いをもらって、上機嫌のじいさんであった。
じいさんの60の還暦祝い、米寿と、共に我が家でお祝いができるのも、
精進の賜か?一人思う!あはは・・・。
孫の英祐とも2日間過ごせた。
風呂も入れたが、様子がいつもと違うのか、
両日とも終始号泣であった。力一杯泣きすぎでは?
夜も隣で寝たが、2時間おきに起きて泣き出し、
あやすのに妻と共に四苦八苦の状態であった。
昼間は上機嫌で遊んでくれた。(気を遣っている?)
やはり孫はかわいいもんだ!
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